「水光園・まぼろしの扉」(2007.8)

 帯広は私にとって北海道で一番馴染みの深い町になった。22才から5年あまり続いたトマムでの寮生活。寮の窓からは素晴らしい白樺の並木が見え、風が木をゆらすとざうざうと葉音が聞こえる。休みの日にビールを飲みながらこの葉音を聞いているだけで眠くなってくる。大阪生まれで学生時代までを大都会で過ごしていた私にとって、葉音を子守歌に眠れるなんて、とても贅沢な事だった。しかしながらその反面、周りには賞味期限切れの食品を平気で売るお店がただ1軒、信号もなく、ただ山や川や空がひろがっている暮らしは、20代前半の若者にとって退屈だった。ネイチャーはもうおなかいっぱいだ。カルチャーはないのか。つい休みには都会が恋しくなる。独身寮生の心のよりどころは、そう、帯広。札幌は遠すぎる。富良野じゃものたりない。車を飛ばせばトマムから1時間と30分。午後6時に仕事を終えてから仲間と帯広に出掛けて、ボーリングをして食事をして帰って来るというのは珍しいことではなかった。

 私が北海道へ来た22才当時、18年前の帯広は、現在のように郊外型の店はほとんどなく、買い物は当然の如く駅前通と決まっていた。帯広駅も今のような軽い感じの高架駅ではなく、暗い色をした大きな壁のような駅舎で、駅の上にはステーションホテルがあり、駅裏と駅前を堂々と寸断していたものだ。駅の中には広い改札と待合室。個人旅行はまだレンタカーよりも列車が主流で、たくさんの旅行客や学生など朝早くから行き来していた。駅から十勝地方唯一のデパート藤丸まで一直線に続く駅前通り界隈には、本屋レコード屋靴屋服屋雑貨屋映画館などが軒を連ねており、カルチャーに飢えた若者のおなかを満たしてくれた。そして、決して大都会とは言えない帯広の町が持っている、近代的な建物の狭間に見える古い木造の建物の板壁や古いトタンの屋根、雑然とした飲み屋の小路などの北国の風情がないまぜになって、田舎暮らしの青年の都会へのノスタルジーをかきたてる。何でもある大都会と、まったく何もない田舎と、満足するしかない中途半端な町、帯広。あきらめと希望と将来への不安と。いつまでも北海道にいるのか。それとも東京や大阪で華やかな仕事をさがすのか。帯広の町を歩くと、今でもこのようにほかの町にはない感情がわきあがってくる。

 そんな帯広の町はずれに、私の好きな温泉はあった。帯広から釧路へ向けて国道38号線を少し走ると左手に看板がある。「水光園」とかかれてはいるが施設は見あたらない。看板の後ろには鬱蒼として森が広がっているだけだ。車がすれ違えるのだろうかというような細い道を森の中に入っていくと何やら釣り堀のような池がある。今では使われていない釣り堀は、きっとレジャーの少なかった昭和40年代あたりには家族連れで賑わっていたのだろう。釣りを楽しんで温泉に入り、ジンギスカンを食べる。そんな家族の姿が目に浮かぶようだ。細い道を奥まで進むと駐車場があり、古い建物がやっと目の前に表れた。重いガラス戸を押して中にはいると錆びかけた鉄製のロッカーが置かれている。しかし靴を脱いでそのロッカーに入れる人はあまりおらず、靴はそのまま玄関に雑然と置かれている。常連客がほとんどのこの温泉で靴を盗まれる不安などない、そんな雰囲気にあふれている。スリッパに履き替えてさらに透明なガラスドアを押して中に入る。右手にはすぐに受付カウンターがあり、初老のおじさんが迎えてくれる。カウンターは広くて立派で、往時の盛況ぶりを偲ばせる。後ろの壁には魚の絵がかけられている。別の壁には十勝川にも棲んでいた巨大魚イトウの剥製も掛けられていたから、きっとオーナーは釣り好きだったのだろう。券売機で銭湯と同じ390円のチケットを買い、フロントに渡す。ロビーにはアイスクリームや飲み物、シャンプーやタオルなど売っている小さな売店があり、ゲーム機がたくさん並んでいる。ゲーム機の中にひときわ懐かしい乗車型のものがある。たしかあれはウルトラマンタロウだ。ほかのウルトラマンとは頭の角が違う。私の世代には一目瞭然だ。キャラクターの背にのってガタガタと一定時間揺れるだけの機械は、いまのゲームセンターではまずお目にかかることはない。きっとまだお金を入れると動くであろうウルトラマンタロウ。こんなものに私も昔は乗りたくてしょうがなかった。

 白い壁の廊下を何度か曲がると、暖簾が掛かっている。モール温泉独特の少しかびくさいような臭いと蒸気が充満している脱衣場で服を脱ぎ、広い浴場へはいる。手前には幾筋ものシャワーやカランが並んでおり、中央には丸いジャグジー、右側には、瀧のように岩づたいにお湯が流れ出ているメインの大きな浴槽がある。シャワーで汗を流して、浴槽の脇に座り桶で湯をかぶる。うす茶色でつるりとしたモール温泉のお湯が肌をすべる。少し熱めのお湯に肩まで身を沈め、ふーっと息を吐く。鼻からも茶色い蒸気が入ってくるようで、全身と内臓までもがその植物質の膜で覆われていくような気になる。

 その日も休日でたしか昼下がりにこのお湯を楽しんでいた。のぼせてきたので浴槽の端に沿ってある幅20センチほどの石の上に腰掛けたり、寝そべったりしていたその時、男湯と女湯を仕切っている右側の壁の一番奥にあるアルミサッシの扉が開いた。お掃除のおばさんでも入ってきたのかなと思って見ると、なんと全裸の女性、年の頃は50才くらいの女性が、頭にタオルを巻き、小さなタオル1枚を胸の前にあてて入ってくるではないか!驚いていると、その女性の方に歩み寄るおじさんがいる。おじさんは特にその全裸のおばさんに声をかけるでもなく、その扉近くの床の上におばさんに背を向けて腰を下ろした。するとそのおばさんはタオルに石鹸をつけておじさんの背中を流し始めたではないか。思わぬ展開にただただ驚いて見ていたが、あまりじろじろと見ているわけにもいかず、何喰わぬ顔で自分も身体を洗ったり、必要以上に泡の大きなジャグジーに入ってみたりして落ち着かない時を過ごした。周りのお客はというと特に驚いている様子もなく、淡々とこちらも自分の身体をながしたりお湯につかったりしてる。近所に住む知り合いにこの事を聞いてみた。するとこれは特に珍しいことではなく、昼の時間にはよく見られる光景だというのだ。男湯と女湯の境、それは公衆道徳がうるさくいわれている現代社会において絶対的なもののはずである。それがこうもあっさりと自然に破られている事に驚いた。

                     

 数年前、青森の酸ヶ湯温泉にある有名な千人風呂に入る機会があった。混浴の風呂というのは男にとってやはりどきどきするもので、女性の姿をつい目で追ってしまうのはしかたがない。それでも女性がお風呂に入るときや出るときは目を伏せる、必要以上に近づかないなど暗黙のルールはある。ここのお風呂は一応は湯船の真ん中で男女に区切られており、それぞれ男女が近づきすぎないように配慮されている。ところがこの日驚いたことに、ある若い男が、その区切りギリギリのところに陣取って、臆面もなく女性が入ってくる方を凝視しているのだ。これでは入ってきた女性は湯船に入れない。あまりにひどい態度なので、勇気を出して私はその男に忠告した。「そんなところでじっと見ていたら女の人が入ってこられないじゃないか」それに対してその若い男が言うには「ここは境界線の中だから自分はルールを違反しているわけではない」というのだ。あいた口がふさがらなかった。男は渋々退散したが、自分さえよければ良い、ルールさえ守っていれば正しい、そんな世の中で混浴というような緩やかな境界線を作っていくのは困難だ。

   昨年の秋、いつものように「水光園」の入口の重いガラスの扉をあけて中に入ろうとした時、扉に貼られていた案内に思わず目を奪われた。「11月末リニューアルオープン」とあり、立派な温泉施設の完成予想図が添えられていた。現在の施設の正面にあたらしい施設が建設されるのだ。そしてそれ以来、リニューアルオープンからすでに半年以上たっているがいまだに私は新しい水光園には足を運んでいない。帯広に行く機会は幾度もあるのだが、慣れ親しんだ施設が取り壊されているのを見るのが怖いのだ。それは施設が壊されただけではなく。帯広という比較的都会の片隅にあった、緩やかな境界線やそれをつつんでいる人と人のコミニティが、同時に壊されたように感じるからだ。新しい施設には、間違いなくあの扉の存在はないだろう。
   
 
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