「旭川銀座通商店街」(2009.2)

  市場の記憶は鮮明だ。私が生まれた大阪羽曳野の新興住宅地にも1970年代半ばまで市場は存在していた。母に手を引かれ、子どもにとってはかなりの距離を歩いて、何度もその坂の途中にある市場へ通った記憶がある。「羽曳が丘デパート」と洒落た名前のついた市場には正面の入り口と、建物の横からはいる小さな裏口があり、私と母はいつも裏口の小さなコンクリートの階段を上がって市場に入った。入ってすぐ右側にはお肉屋さんがあり、小さな私の目の前のショーケースには赤くきれいに切り分けられた肉がバットに乗せられて並んでいた。とりわけ大小たくさんの卵の黄身が赤く薄い膜につつまれた状態で売られている鶏の内蔵を、すこし恐ろしいような、でも美味しそうに見えるような不思議な思いで眺めていたことを思い出す。濡れて光ったコンクリートの上を進むと、金物屋があり、菊の匂いがする花屋があり、だんご屋もあった。市場の真ん中あたりにはひときわ明るく裸電球を吊した八百屋があって、ダミ声のおじさんが威勢良く「へい、いらっしゃいいらっしゃいいらしゃい…」と絶えることなく声をあげていた。小さな私はその胸に響くような大きなダミ声をいつも恐ろしく感じていた。いつだったか母に頼まれてその八百屋へひとりでおつかいに行った事があったが、おじさんが怖くて立ちつくしたままなかなか声が出なかった。そんな私を見て八百屋のおばさんが声をかけてくれた。私は小さな声で注文し、新聞紙で丁寧に包んでもらった野菜を受け取ってお金を渡した。おばさんはバネで釣り下げられた小さな青いカゴから、お釣りと台紙に貼る小さな切手のようなスタンプを渡してくれた。やがて、私が中学校に通う頃には街の中心部に少し大きなスーパーマーケットができ、このひんやりと冷たい空気と裸電球の市場に行くことはなくなってしまった。そしていつの頃か、気づかないうちにこの市場はひっそりとなくなっていた。

  年末になると、お正月の食材を普段よりも少し贅沢にたくさん買い込むという習慣も、これからは徐々になくなっていくのかもしれない。10年ほど前から都市部の大型ショッピングセンターなどは元日から営業していて、わざわざ食材を買い込んでおく必要がなくなってきているからだ。元日も営業するというのは経営側からすると生鮮食品のロスをなくすために有効な手段なのだろうと思うが、大型店舗には多くの従業員がおり、その家族は元日を家族でゆっくりと過ごすことは許されない。スキー場で12年以上働いていた私も観光サービス業に盆と正月はないのはわかっているのだが、スキー場には盆と正月以外にゆっくりできる時期があり、それとはどうも訳が違うように思う。普通の住民にとって元旦からお店が開いているのは聞くまでもなく便利なのだが、便利さと引き替えに日本のお正月の特別な空気は確実に失われている。それにしても何もかも経済効率優先では息が詰まるばかりだ。

 我が家が年末に決まって買い出しに出かけるのは、旭川にある銀座通商店街である。銀座通商店街は旭川駅から車で5分ほどのはずれにある古い市場で、戦後の闇市で発展したという。商店街といっても、いわゆるアーケードがあって両側にまっすぐ店が並んでいるわけではなく、旭川四条通りの15丁目交差点を起点とする二条通りにかけての界隈にお店や小さな市場が混在していて、区域全体が「市場」といった雰囲気だ。商店街の中央を貫く銀座通りには数年前に商店街再生のために神社や鳥居、鳥居を模したような赤い街灯が仲見世をイメージして大規模に整備された。同時に屋台村もできたが、こちらはあまり銀座の風情と噛み合っている感じはなく、数年で幕を閉じた。新たに神社や屋台村を設置したからといって果たしてお客が増えるのだろうかと正直感じた事もある。大好きなこの銀座の雰囲気を壊してほしくはない、と。それでも大型のショッピングセンターに対抗して銀座通商店街を継続していくためには、商店街の人たちがあれやこれや知恵を絞り、工夫を凝らしていく事がとても大切なことだと思う。さまざまな取り組みを通して色々な人が関わることでしか、街は再生しない。

 銀座に行くといつもひと通りぶらぶらと冷やかして歩くが、買い物をする店はだいたい決まっている。占冠からは片道2時間以上の道のりなのでそうそう通える訳でもないが、それでもいくつかのお店では顔なじみとして声をかけてもらえるようになり、あらためてお店の方々の記憶力には舌を巻く。ちなみに年末の買い物はこうだ。まず果物屋さんで、できるだけ小さな甘いみかんを試食して箱で買い、箱は帰りまで預かってもらう。そして、とても安い野菜が並ぶ八百屋には決して手を出さずに通り過ぎ、品揃えの素晴らしいいつもの八百屋へ直行する。おかみさんに、野菜の産地や時には料理法まで教えてもらいながらじっくりと野菜を選ぶのだが、これがとても楽しい時間だ。そして次は旭川で最も古く大正時代に開設された「第一市場」へ入る。中は薄暗く建物全体も長年の歴史でゆがんでおり、シャッターの閉まった店も多いが、それでも酒屋、肉屋、かまぼこ屋、八百屋、餅屋、魚屋などがあり、年末は大変賑わっている。ここの肉屋さんの豚バラ肉が昨今人気のイベリコ豚に決して負けないくらいにおいしい。十勝の豚肉だと聞いているが、これをしゃぶしゃぶ用に薄くスライスしてもらう。次は餅屋でのし餅と鏡餅を買い、奥の魚屋で旬の安くて新鮮な魚を選ぶ。こうして第一市場を出る頃にはすっかり体が冷えている。そこで銀ビルの一階にあるおやき屋に入るのがいつものパターンだ。おやき屋の奥には座って食べられるスペースがあり、ポットには暖かい麦茶が入っている。冷えた体に暖かい麦茶と窒息しそうなクリームのおやきをほおばる。次から次におやきやたい焼きを求めて入ってくるお客さんとお店のおやじさんの会話を楽しみながら、しばし休憩。このおやき屋が入っている銀ビルは約40年前に当時としては最先端のビルとして建てられたもので、最上階の8階には円形のスカイラウンジがある。残念ながら現在スカイラウンジは営業していないが、レトロなビルにしてはきちんと管理されており、いつでも復活できそうな感じだ。おやき屋を出てさらに数軒、魚屋をみたり、四条通りを隔てた向かいの古本屋を見たり、お腹が減れば老舗のラーメン屋もある。社長が大の阪神ファンで有名な衣料品デパートの本店があるのもおもしろく、うろうろしていると毎年あっという間に年の瀬の日は暮れてしまう。おっと、みかんの箱を受け取るのを忘れないように。

 銀座のお店はどのお店もみな対面販売で、会話を楽しみながら買い物が出来る。その中でも前述の八百屋のおかみさんは、私にとって商売の見本というべき存在だ。おかみさんは鮮度や形が良くない野菜はたとえ自分が売っているものでも「良くない」とはっきりと言ってくれる。その上で、だから少し安い、または良いものは明日入荷するというような情報をとにかく正直に与えてくれる。昨今の、儲かれば何でもありが蔓延するご時世にあって、商売とは本来こういうものだとおかみさんは教えてくれる。お客のことを本当に思い、目先の利益にとらわれないことは、結果的に信頼を得て息の長い商売につながる。だがこういう微妙な情報の提供は文字による商品説明やネット上のやりとりなどでは到底伝えられない。ましてやそれを積み重ねて信頼を得ていくというのは、顔を合わせていなければできるものではない。

 昨年の秋にはソウルの市場も訪ねた。ソウルは韓国の首都であるにも関わらず、市内に数多く広大な市場があることに驚いた。衣料品を主に扱う観光客を意識したような市場も多いが、食材を扱う市場はソウル市民の台所といった感じで、ほとんどが地元の買い物客で占められており、外国人を見ることはほとんどなかった。京東市場(キョンドンシジャン)は小売り中心の10ヘクタールもある広大な市場で、実に1000もの店が並んでいる。西側半分は漢方の材料を専門に扱う店ばかりがあり、市場に近づいただけで様々な薬草の香りが鼻を突く。漢方は皆目わからないので見るだけにとどめたが、五味子やキハダなど北海道の自然の中にも見られる薬草も数多くあった。そして東側半分には野菜や果物、魚、肉が所狭しとあふれるように売られている。さすがに韓国だけあって、日本では見たこともないようなさまざまな種類のキムチが大量に売られており、それとは知らずに私が購入した小エビやイワシの塩辛は、韓国ではキムチを漬けるときには欠かせない材料だった。店先に積み上げられている野菜は乾いた大陸気候のせいか日本の野菜よりも色は濃く水分が少ない印象で、畑の赤土をつけたまま売られているものが多くあった。市場の片隅には生きている鶏や食用の犬もおり、日本では見られなくなった命と寄り添った食の風景がそこにはあった。たしかに日本のスーパーのように衛生的ではないかもしれないし、駐車場があるわけでも、24時間営業しているわけでもない。しかし、不便ではあるが人間が生きていく上で不可欠な、“食べ物”を通した根元的な取引きの熱気がそこにはある。食べることに対する熱気はソウルの飲食店でも常に感じた。店のフロア全体に、みなが熱気を帯びて話す会話がこもり、反響し、唸りをあげ、まるで耳鳴りのようにうわんうわんと共鳴している。それは小さく仕切られて顔を合わせることはなく、みなひそひそと酒を飲んでいる現在の日本ではすっかりみられなくなった風景だ。

 日本の市場はそのほとんどが消えゆく運命のように思われている。しかし、食材ひとつひとつに目が行き届き、扱いも丁寧で、生産者の情報も消費者に伝えられる小さな流通の形は、今だからこそ求められているものだ。第一市場の底冷えする通路の片隅でスケッチをしている間、魚屋のおかみさんは、60才だというおじさんの少し的のはずれた噛み合わない会話に、いらいらすることなく延々と付き合ってあげていた。決して丁寧な応対ではないが、そこにはお客だからということだけではない、人としての心や愛情があった。食べ物をはさんで人と人が会話をする。そんなシンプルなことを日本人は忘れてしまったのだろうか。売る方は嘘をつき、買う方はすぐにクレームを付ける。そんな関係を小さな市場が救ってくれる。市場には希望がある。
   
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